(つき)















 

 カーテンが風を孕み、大きく膨らんだ。

 空の傷口から血が滲んだような夕焼けがわずかにのこっているその上に、伏目がちの月がほっそりとかかる。

 「え、る、窓を」

 恐る恐る、細い声が聞こえた。
 あまり陽の光にあたらない所為か酷く青白い肌が少しさざめいている。寒いのだ。
 熱を出そうが風邪をひこうが遊ぶつもりではいるが、それが自分に感染するのはどうにも厄介だ。
 そう思って、Lは開いていた窓をぱたんと閉めた。白いカーテンは急激にしぼみ、やがてだらりと沈黙する。

 窓の外を見る。
 わずかに気配だけのこった薄明はもうまもなく息絶える。鋭く光る月はやがて高みに昇り、静かに全てを見下ろすのだろう。

 「L、今日は、もう」

 竜崎は頭をもたげることも出来ずにベッドに突っ伏し、言った。

 珍しく暇だったので今日は朝から遊んだ。
 別段何時も繋がっている必要はない。肉体的な満足などさほど重要ではない。ただ相手が動いたりもがいたりするのを見るのが楽しい。
 ふと自分の指先に視線を落とすと、爪に血の塊がこびりついている。自分のものではない。何をしたのかよく覚えてはいないが知らないあいだに竜崎に爪を立てたのだろう。

 ベッドの上に戻ってシーツに顔をうずめたままの竜崎の体を眺めた。肉体的にはまだそう参ってはいないはずだ。背に酷い掻き傷が出来ている。これか。

 「今日はもう、何?」

 わざと優しく耳元に呟いてやる。

 「傷が、多いので」

 「多いので、何?」

 「これで…離してくれませんか」

 戸惑いがちに言うのは自分を恐れているからだ。怯えた目が長い前髪のあいだからLを見た。愉しくなったので、突然荒々しく髪を引っ掴んでみる。

 「ヒッ…」

 もう嫌だというように顔を掌で覆い、竜崎は掠れた悲鳴をあげた。その細い手首を髪を掴んでいるのとは逆の手でまとめ上げ顔を覗き込んでやると、まつげに玉の滴がのっている。見る見るうちに水気を増し潤む眼球の表面。下まぶたの肉の上に涙がたまる。弱弱しく振りほどこうとする竜崎をベッドに沈める。
 発育不良の体躯は腕を上げさせられただけでぎょっとするほどくっきりとあばらが浮いた。

 シーツのそこかしこに出来た血の海のその縁はすでに茶褐色に固まっている。さまざまに変色したその血飛沫が陰惨さを強調し、そしてLの獣欲を強く揺さぶる。

 否応なしにふしどへ磔けられた哀れな獲物は直に獣の影に呑みこまれた。
 雄として完成しつつあるはずの体が女のように揺らされる。収まる場所を求める凶器と化した獣の切っ先は容赦なく若い花芽を穿つ。無理に散らされた赤い花弁が手繰られ皺の寄ったシーツに新しく滲んだ。次第に広がっていくその池にはやがて点々と白い花が浮かんで咲いた。

 汚された体をかばうものもないまま竜崎は次の姿勢をとらされる。掌と膝の犬の四つ足。

「い、やです、もう」

 押し殺してもなお震える喉をその掌で締めつけながら獣が低く呟いた。

 「まだだ、私が」

 こんなにも私の体を汚しておいて何がまだなのか。竜崎は獣を批難したさに自らの唇を噛んだ。けれども、竜崎にうずもれたままの切っ先がまた、

 「ああああああ」

 本能的に逃れようとするその身を引き戻し今度は背後から。

 竜崎の体が跳ねた。

 幼少より慣らされたわけでは決してない彼の体には、この、肉体的にも精神的にも異常な獣の相手は酷だ。ただその時が過ぎるのをじっと待っているしかない。

 「ふふ」

 見透かしたように獣が笑い深く穿たれる。

 「ああああ」

 声はかすれて悲鳴も満足にあげられないのに、苦痛だけは止まない。
 夜闇の染みて広がった室内では、思考とそして肉体の感覚のみが竜崎の生体として形なす足がかりとなる。皮肉にも竜崎は与えられる苦痛に依って血の通う己がここに在ることを自覚している。
 見開いた、明かり無き部屋の中のよりも深い漆黒の目からとめどなく涙が零れ落ちる。

 「抱き…つかせてください、手、が」

 痺れて、という言葉を竜崎は噛み砕いた。

 がくりと腕が折れ、掌の代わりに肘をつく。更に高くかかげることになった下半身に獣の視線がまとわりつくのを感じる。シーツにほお擦りするようにして肩越しに振り返ると、舌なめずりをするLが視界に入る。
 ゆっくりと獣が動いた。悲鳴の代わりのように竜崎は叫ぶ。

 「お願いです、せめて」

 哀願は無言で踏みにじられ先ほどよりも容赦のない律動が始まった。
 己の体温とLの体液とを吸い取ったシーツにしがみつき衝撃に耐えながら涙は降り止まない。狂ったように腰を使うLにはもう何も聞こえない。めちゃめちゃに手繰り寄せたシーツが竜崎の胸元で一つの塊になる。すがるものをなくした竜崎の指先がマットといわず虚空といわず苦しげにそこかしこを掻いた。

 「辛いです、L、抱きつかせて」

 竜崎はざりざりとマットに爪を立てる。

 「どこに?」

 その激しい行為とは裏腹に静かな声が背後から投じられた。

 (L、あなたに)

 言葉にはならず竜崎は己が身を刺す獣の肌に鳴き続ける。

 あなたの体温がこの胸に欲しいのです。

 道具の扱いではなく、せめて性の対象として。

 愛していないのならそれでもいいから。暴力的でも背徳的でもいいから。

 縫われた体のまま、竜崎はLとの距離に絶望する。

 むせび泣く。
 それは身に与えられる苦痛からではなく。

 最後の忘我に大きく反り返りながら、獣は嘲笑うかのように竜崎の臀部に爪を立てた。
 傷を負った冷たい背に生暖かいものが滴る。
 涙に視界を滲ませ窓の方へ目をやると、濃紺の空を切り取る白いカーテンのすきまから、昇りつめつつある月が、薄く笑っていた。

 


















 

 

 

ブラウザを閉じてお戻りください