小夜曲
「なんだ、こんなとこにいたのかL。探したよ」
「──あ」
ゆったりと贅沢なスペースを備えた音楽室の中、豪華なグランドピアノの前に一人ぼんやり座っていた青年は、投げかけられた声にはっと我に返った。端然として目元の涼しい、しかしどことなく一癖ありげな微笑を湛えた男が、半開きの扉の隙間に立ってこちらを見ている。それが誰であるかを認識すると、Lの背筋を微妙な感触の緊張感が走った。
「いらしてたんですか、リンド。今日は何か」
確か来訪の予定はなかった筈だ。尤もそれは仕事に関してのことで、よく判らぬ関係ながら兄の古い友人でもあるこの詐欺師は、Lが子供の頃から度々こうして前触れもなしに姿を現すのが常だったが。
「相変わらず冷たいね、お前さんは。用がなかったら来ちゃいけないのかい」
ちょっと皮肉を含んだ物言いに聞こえるのはこの男の特徴のひとつ。ビジネスのための仮面を被っていない時の彼の顔は──それとて本当の素顔ではないとLは承知しているが──その不可解に屈折した性格を反映して僅かな険を含む。
もう一人の《L》としてこの男のスキルを使う立場になって、もう何年経つだろう。リンド・L・テイラーは詐欺師としては超一流の腕前を誇るが、利用し続けるにはすこぶる危険な側面を持つことももう判っていた。飼い馴らされた狐の素振りの裏側で、麻薬的な殺人遊戯に耽溺している男だということも。
だが、この油断のならない犯罪者は《L》にすら容易に尻尾を掴ませない。一分の緩みもなく確実に彼の首根っ子を押さえるためには、もう暫く自由に泳がせて罠を閉じる瞬間を慎重に見定めなければならない。Lは内心を窺わせない得意の無表情で、自分なりに当り障りのない応答を返した。
「別にそうは言いませんが……私を探したということなので」
「やれやれ」
リンドは大仰に両肩を竦め、軽い足取りでこちらへ近寄ってきた。
「そういう処はあいつにそっくりだな、兄弟だけあって──たまにゃゆっくり、お姫さんの顔が見たかっただけだよ」
鏡のように磨き上げられた楽器に遠慮なく片手を突いて屈み込むと、男はもう片方の手を躊躇なく伸ばし無愛想なピアニストの顎に触れた。Lの全身がさっと強張り皮膚がかすかに粟立つが、咄嗟にストレスを噛み殺すのも彼には手慣れた作業だった。過剰な抵抗感が一段落すると、男の愛用しているコロンの香りが改めてふわりと鼻孔を撫でた気がした。
これは対象が誰であれ、特殊な負荷のかかったLの神経がしばしば自動的に引き起こす反応だ。今さら珍しくもない光景なので、リンドも特に不審そうな様子は見せない。時折り無神経すれすれの磊落な物腰を示す詐欺師は、相手の固い身構えなどどこ吹く風と、黒い瞳を燦めかせて青年の血の気のない顔を仰向けさせた。
「頸に妙な痣がついてるな。どうした? 赤くなってるよ」
「……そうですか」
Lは極力静かに男の指から顔を離した。彼くらいの目利きが見れば、これが何の痕かはすぐぴんと来るのではないだろうか。社会適応力に欠ける引籠りの探偵に、まさかキスマークなど頂戴する機会のある訳もないと思っているのか。
だが、リンドは素知らぬ顔ですぐ話題を変えた。
「それで、何をぼーっとしてたんだ。ピアノを弾くんじゃないのかい」
「いえ」
兄の意向でこの壮麗な音の芸術品も、他の諸々の楽器と一緒に明日には処分されてしまう。それでLは柄にもなく、先刻から愛すべき旧友たちに永の別れを告げていたところだった。これまで、自分がそんな感傷的な性格だと自覚したことはなかったが。
けれども幼少の砌、心に潤いを齎す子供らしい遊びや人との交流を何ひとつ知らずに育った狼少年にとって、初めて触れた音楽の世界はかけがえのない芳醇な滋養だった。年を経るにつれ接する機会は少なくなったと言っても、唯一の幼馴染みであるこの部屋の住人たちと別れるのはやはり嬉しいことではない。ワタリが責任をもって然るべき業者に引き渡すと約束してくれたのが、せめてもの慰めだった。
あくまで口数の少ないLを前に、リンドは何事を思いついたかにやりと笑った。手の甲でこつこつと、黒塗りの楽器の艶やかな地肌を叩いて悪戯っぽく言う。
「覚えてるか、L? こいつは俺からお前への、初対面の挨拶代わりだった」
「はい、覚えてます」
「まあ正確には、お前の兄貴から半分無理やりふんだくられたようなもんだが……懐かしいな、折角だから何か弾いてくれよ」
Lは珍しく返事に困った。
却って未練が募りそうだったから、ここにあるものはどれも二度と手を触れずに送り出すつもりだったのだ。それにもし迂闊に演奏などして、またあの人が──
「リンド相手なら“スターダスト”程度にしておいた方がいい。バッハやベートーベンを披露してやっても寝るだけだからな」
突然割って入ったテノールの響きに背筋が凍って、彼はすぐに顔を上げることが出来なかった。
「──何だよシニア、俺にだって古典鑑賞の素養くらいあるぞ。でないと上客相手の商売が出来ん」
「詐欺師の方便が素養のうちに入るか」
つけつけと手厳しい舌鋒の主の姿を、Lはそっと横目使いに確認した。水際立った存在感を放つすらりとした長身が、重厚なドアを閉めて悠然とこちらへやってくる。蒼ざめた弟の横顔に普段通りの微笑を向けながら、二人目の闖入者は猶も直截に決めつけた。
「聴く耳のない人間に、私のLの演奏はいかにも分不相応だと思うがな」
「大きなお世話だ」
これまたにべもなく切り返すと、リンドは再び青年の顔を覗き込んで当てつけるような猫撫で声を出した。
「弾いてくれるなら何でもいいよ。お前の好きな曲で」
「…………」
つい兄に可否を伺う一瞥を投げてしまったLは、相手の白皙から明確なサインを読み取るより先に、そんな自分の反応パターンに対して苦い嫌悪感を抱かずにはいられなかった。少し前までならそれは、二人の間でごく当たり前に交わされるコミュニケーションの一手段だったのだけれど──今となっては、全く別の意味合いを持つようになってしまったから。
淀みなく流れていたラヴェルの繊細な旋律が、いきなり途切れた。
「……っ、何を、リンド……」
「おやおや、こいつはまた随分と潔癖なレディだな」
背後からLの耳に小さな接吻を与えた詐欺師は、片手を演奏者の細い肩に置いたまま低めの声を零す。
「綺麗な音だ、気に入った──どうしたんだ、続けなよ」
冗談ではなかった。ただでさえ他人に近寄られると嫌でも硬直してしまうのに、こんな状態で演奏などできない。だが身を捩って立ち上がろうとした彼のすべての抵抗を、もう一つの声が絶対的な威力をもってすかさず頭から抑えつけた。
「最後まで弾きなさい、L」
部屋の一隅に置かれたソファにゆったり身を凭せかけて、兄の物腰も口調もいかにも寛いだふうだったが、それは紛れもなく断固たる意志を含んだ“命令”だ。Lは俯き、ただ無言で背筋を走る不気味な戦慄に耐えた。
悴(かじか)んだ指先を再び白い鍵盤の上に置くと、今度は二本の腕がじわりと上半身に巻きついてきた。
「──やめてください、リンド」
「聴かせてくれるんだろ、俺に」耳朶に触れる吐息が熱い。「お前は、兄貴の言いつけをよく守るいい子じゃなかったのか?」
Lは歯を食いしばった。このまま相手の言いなりになるのは苦痛だったが、はっきりと拒んでしまうことの方が──恐ろしい。
この男たちが何を考えているか、それを知ってしまうことの方が恐ろしい。
ぎこちなく鍵の上を滑り出した指は、しかしたちまち脆くも乱れた。
「あ……っ!」
「いい声だな、もっと聴きたくなる」
男の手が、服の上から胸の突起をまさぐっていた。また運指が止まりそうになったが、Lは詐欺師の悪戯から少しでも逃れようと背中をいっそう丸め、それでも頑固に演奏を続ける姿勢を崩さなかった。
女でもないのにそんな部分を触れられて、簡単に声を上げてしまった自分が情けない。騒いではいけない、反応しては……
「いい加減に……リ、ンド──!」
耳のふちを甘噛みされて、旋律はまた滅茶苦茶になった。
精一杯の抗議を声音に籠めたものの、それで不埒な手を止められるとは自分でも思っていない。案の定、男はますます傍若無人に指と唇を肌の上へ這わせてきた。
「このぐらいどうってことはないだろう、お姫さん。いくらお前が世間知らずでも、自分で処理する時はもっとダイレクトに感じることをするんだろ?」
Lは小刻みにかぶりを振った。普通ならこんな破廉恥な所業、一秒だって黙って耐えたりはしない。だが彼のひょろりと痩せた四肢を縛っているのは、ちょっと暴れれば簡単に外せる戯れの腕ではなく、やや離れた場所で黙って経緯を観察している保護者の──或いは、ついこの前まで保護者だった男の強烈な視線なのだった。
兄が、見ている。
Lはもう一人のLが座っているソファから頑なに目を逸らし続けていたが、意識の半分以上はずっとそこに絡め取られていた。あの人はきっと、かつて弟の演奏を聴く時いつもそうしていたように、のどかに寝そべるような姿勢を取って綽々とこちらを眺めている。リンドの悪ふざけに血色の悪い頬を紅潮させ、その手を撥ねのけられずにうろたえている自分の様子を余す処なく見定めている。
味も素っ気もない骨と皮だけの躰を夜ごと褥に這いつくばらせ、それが苦痛や恥辱や快感にどのような変容を見せるかを、いつも仮借なく暴き立てるあの漆黒の双眸をもって。
「手を止めるなよ、L。兄貴に怒られるぜ」
卑屈な子供の内心を見透かした科白を吐きながら、リンドの振舞いはより大胆になった。緩やかに履きこなしたジーンズのウェスト部分に彼の手が触れたかと思うと、事もなげにその中へとすべり込んだのだ。何とか意地を張ろうとしていたLの両手が鍵盤に叩きつけられ、音響設備の整った部屋がかなり刺激的なピアノの絶叫を浴びてびりびり軋んだ。
「リンド──い、いやです──」
「悪い子だ」
毛並みのよい狐のさも清潔そうな手が、偽ることのできない過敏な肉欲の核に触れている。
「俺がやったピアノを、そんな乱暴に扱うとはな」
粘着質の囁きとともに、五本の指が明瞭な意図を示して蠢き始めた。Lは反射的に腰を浮かせたが、リンドは委細構わず後ろからぴったり貼りついたまま、ボトムの中に埋めた指先を巧みに動かした。
「く……」
「そう固くなるなって。力を抜けよ」
兄が見ている。伊達を気取った殺人者に羽交い締めにされ、陰湿な愛撫を受けて手もなく慄いている自分を。
Lは前屈みになってリンドの手首を掴んだ。だがいかがわしい指使いは止まらない。
「──しかし、心配になるくらい細いなお前は。菓子ばっか食ってて何でこうなる?」
「離してください……こんな、ひ、弾けません……!」
「そんなことないさ」
男は、今まで聞いたことのない忍びやかな声で笑った。
「聴かせてくれよ、お姫さん。お前があいつに聴かせてやるのと同じ音色を」
胸を這う掌が頸すじにまで伸びた。
鎌首を擡げた蛇そっくりの動きで。
Lは、全身を揉み立てて絡みつく腕を振り落とすのと同時に床を蹴った。大きな音を立てて椅子が倒れたが、何にも目をくれず一目散にドアへと走る。後で兄からどんな目に会わされようと、とにかく今この場所には絶対に留まっていてはいけない、そう思った。
脱兎の如く駆けながら手を重い防音式ドアの把手に伸ばした、その刹那。
扉の前にするりと立ち塞がった長身の影と、Lは殆ど真正面から派手に体当たりしていた。傍から見れば、自らその影の懐に飛び込んだとも取れる格好だった。
「────」
ひく、と白い喉が痙攣した。腕の中で硬い棒と化した弟を冷然と見下ろして、前髪の奥の眼がやや細められる。
「ちょっと、痛かったな」
苦笑を含んで呟きながら、兄は素早く獲物の両手を掴んだ。有無を言わさぬ力で繋ぎ止められたLは、思わず縋るようなまなざしを男の彫像めいた面貌へ向けていた。
「そんなとんでもない勢いでどこへ行く? 演奏を途中で放り出して」
どうしろと言う。どうすればいい。
もとより血の気の薄い唇が、いっそう温度を失くしてそれでも物言いたげに綻びた。だがこの残酷な飼い主の心を動かせる言葉を、Lは知らない。泣こうが喚こうが、或いは諾々と身を任せようが結果は同じだ。いずれにせよこの男は、自身の欲望が赴くままに気の済むまで放縦を極めるのみなのだから。
悲痛な混沌に溺れて声のない青年の痩せた肩を、背後から別の手がしっかりと捉えた。極端な猫背が、目に見えそうなほど痙攣して大きく反り返った。
くく、と短い笑い声がLの耳を打つ。
「そんなに怯えなさんな」
品のいいコロンの香り。リンドの素の声は、いつもどことなく皮肉げな調子を含んで聴こえる。斜に構えて、まるで相手の裏も表も見切ったみたいに、さも高を括ったふうに。
「知ってるだろ? 俺は居直り強盗みたいな野暮な真似が大嫌いなんだ。だから、心配しなくても」
詐欺師は黒髪に覆われたLのうなじに唇を寄せて宣(のたも)うた。
「お前が一番いい音色を出せるようにしてやるよ」
これは一体、どういう生き物なのだろうと思う。
リンドの知っている小さなLは──子供らしからぬ蒼白い頬に慇懃な口振り、容易く他人と交わらない病的なまでの神経質さが目立つ、可愛気があるのかないのかよく判らない個性の持ち主だった。年齢不相応に発達した知性は会話の興をそそるものの、からかって遊ぶにはいささか歯応えがあり過ぎる。大きな瞳の底知れない黒さが奇妙な執着心を惹起させはしたが、彼がそもそもこの子供を手に入れてみたいと思ったのは、むしろ兄であるLの尋常でない所有欲がやたらと挑発的だったからだ。
まさか、自分自身がこう足を取られるとは予想していなかった。
ひたすら外界と一定の距離を保とうとする臆病な躰は、無知なだけに性的な玩弄に対して何の抵抗力も持たない。いまだ少年ぽさの残る体躯は見た目通りの未熟さながら、与えられる刺激を片端から貪欲に吸収して、みるみる目を見張るほど淫蕩に色づいていった。
その白さが目に沁みる細い脚を強引に割って、若草に覆われた彼の茎を軽く舌先で舐(ねぶ)ってやる。
「やっ……」
いつになく高い声音にちらりと視線を走らせると、日ごろ生意気なくらい静まり返っている細面が、両頬に朱を刷いて誘いかけるように悩ましい。切なげに喘ぐ唇もつややかな赤みを帯びて、そこからもっと扇情的な鳴き声を溢れさせたいと思わせるには充分すぎる眺めだった。
ぶるぶる震えながら形を変えてゆくセンシティヴな器官にまた接吻する。この様子では、殆どまともに自慰を試した経験もないのかも知れない。
これは相当遊び甲斐のある玩具だ。そう思うと、リンドの籠絡の手管はいよいよ悪辣さを増した。もちろん、抜かりのない共犯者が不届きな合いの手を入れてくることを期待して。
「愉しそうだね」
予想に違わず、絶妙のタイミングで声がした。そっちの方がよほど愉しそうだが、男が話しかけたのは自分に対してではないと詐欺師はちゃんと承知している。
「言ってごらん、L。リンドは今お前に何をしてる?」
一時もじっとしていられない弟を両腕に抱きかかえて、大きなLが柔和な表情を崩しもせずに訊ねた。若いLは耳に入らぬふりで俯いたが、もとよりそんなちゃちな反抗が通用する相手ではない。今まで何憚ることなく過保護ぶりを披露していた兄が、弟の前髪を掴んで仰向かせる仕草の機械的な冷酷さに、海千山千の詐欺師は呆れて少々舌を巻いた。
「言いなさい」
「……私の、先に……あっ、舌を……」
Lが途切れ途切れにそう答えるや否や、彼の股間に顔を埋めたリンドの狼藉があざとさを増した。ひときわ高い悲鳴が上がり身悶えも大きくなるが、男二人の手でソファに縫い止められた痩せっぽちの獲物に逃げ場はない。
「ほら、今度はどうしたんだ? お前がそんな声を出すなんて」
「も、もう、やめてください──あ、んんっ……!」
熟達した淫戯は虐待と変わりがなく、彼は圧倒的な快楽の暴力にすべての感覚を拉がれて呻吟していた。今にも泣き出しそうな顔で、それでも歯を食いしばり最後の矜持を保とうとしている彼の姿は文句なしに可愛い。思わず、意地でも泣かせてやりたくなるほど。
「ああっ! や、やぁっ──」
とびきり念入りな玄人向けの技巧に、華奢な体躯がたちまち反応してソファの上で妖しく撓った。恐らく意識しての仕草ではないのだろうが、小さなLが狂おしさのあまり兄の肩に頭を擦りつけるのを視野の端に捉えると、冷たい炎がリンドの胸の裡をかすかに焦がした。
喜悦よりもむしろ苦悩に染まった稚い横顔と、形よい唇を艶やかな笑みで飾った雄の満ち足りた表情。それは、まるで約束された調和のささやかな具現のようで。
或いは、よく似通っていながら徹底して対照的な彼ら兄弟の、他人には踏み込めない絆のありようを顕しているようで。
身も世もなく喉を震わせる弟の吐息を濃厚な接吻で吸い取って、しかしもう一人のLはその調和をすぐさま惜し気もなく叩き壊した。
「しょうのない子だ。言葉で教えられないなら、お前も私にしてごらん? ──リンドがお前にしているのとそっくり同じことを」
リンドのほの昏い血がざわっと昂ぶった。
しばらく強情を張っていた青年が容赦なく痛めつけられて屈し、兄の鋭く尖り立った剛直へ健気に舌を伸ばしたその時、悪党は底抜けの欲求に憑かれた我が身を鮮明に自覚していた。
彼が欲しい。
心も躰も甚だしく歪(いびつ)な、風変わりだが確かに抗えぬ魅力を具えたこの存在が欲しい。彼が自分のものになるなら、恐らく二度とあの度し難い飢えと渇きに苛まれることはなくなる──穢れた手をなお真っ赤に染め上げて、人の世の暗がりと汚泥を縫い取るようにして歩き続ける必要もなくなる。一歩引いて考えれば噴飯ものであろう碌でなしの空想に、ほんの一瞬リンドは愚かしくも夢中になった。
その腕で堕とそうとしているのが、己れの影を捕え死命を制する力を具えた狩人の一人だと知っていながら。
リンドが脈動を口の中に咥え込むと、Lの懊悩は一段と深まった。それでも厳しく促されて、自分がされている通りの行為を懸命に反復する彼の気配に、詐欺師は錯綜した興奮を覚えた。まるで間接的にこっちが奴へ奉仕しているようなものだと、頭の片隅で少々忌々しい感想を抱きつつも。
極限まで熱せられた欲望に刺し貫かれる瞬間、彼はほとんど声を上げなかった。夜伽に馴らされ始めたばかりの花芯はまだ青く、つい血気に逸った侵蝕は肉づき薄い肢体に相応の負担を強いただろうに。
彼の内部はリンドの刃を蕩かさずにおかない熱さで、わななき締めつけてくる感触の得難さに男はしたたか酔い痴れた。空気を求めて喘ぐ口元がいじらしく見えて、その端に獣の白濁がこびりついているのも構わず、詐欺師は騙した女にするよりも優しい仕草でキスをした。
「いいよ、L」
自分でも笑えるくらいに甘い囁き。
「力を抜くんだ、動くからな──大丈夫、すぐによくしてやるから」
何歳になっても人慣れのしない頑なな子供は、怯えたようにかぶりを振った。その頭を膝の上に乗せて、彼ら二人の尊大極まりない飼い主がふっと鼻先で嘲弄する。
「お前の詐欺の現場を見ているようだな、リンド」
「外野は黙ってろ」
探偵と犯罪者、頭のいかれ具合はお互い様だ──たとえ相手が、実のところ自分の手には負えない恐るべき強敵であれ。
少しずつ抽送を強くする。見下ろすと気丈な唇はきつく引き結ばれていたが、性的にはまだまだ稚拙な彼を初手でどこまで燃え立たせてやれるか、そう考えてリンドはいつになく心躍らせている自分を感じた。見た目はあまり一般受けする種類の素材とは言えずとも、これは決して悪い買い物じゃない。頭でっかちで潔癖な子だけに、乱れ始めたら存外陥落は早いかも知れない。
──うんといい声で鳴いてくれよ、お姫さん。
とっておきの演奏を聴きたい。この徒然(つれづれ)の狂った夜を彩るにふさわしい、最高に官能的でしかも澄み切った純粋な旋律を。
征服した肌身ははっきりと情欲の火の色が滲んで、生々しいのにどこかこの世のものとも思えない風情を帯びていた。優雅なアウトローが嵩にかかって責め立てると、間断なくこみ上げる切れ切れの悲鳴で部屋の空気を甘やかに染めて、それでも小さなLは絶対に泣き顔を見せようとはしなかった。
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