抱擁
暗い部屋の隅から滲み出てくる墨色の闇が、部屋の中にむせ返るほどに充満している。
伏目がちな細い月がかかる空のどこからか、ぎゃあ、と、気味の悪い声で夜烏が啼いた。
Lはその声に耳を傾け、少しのあいだ動きを止めた。
痛みの和らいだその隙に、竜崎はぜいぜいと息をつく。
夜烏はひとしきり上空をさ迷った後、縄張りを侵された梟の怒声に追われて何処かへ去っていった。
遠ざかっていく声をいかにも惜しそうに聞きながら、Lは再び獣に戻る。四足のまま、ひい、と声をあげてたわむうなじ。がくがくと壊れたようになっている竜崎の腰を背後から支えながら痙攣する内部に沈み込めば、もとよりそのしなやかさを備えていないそこは、侵入を拒んで悲痛に締めあげてくる。
「ひっ…」
短く悲鳴をあげた竜崎の大腿を、紅くほそい蛇が這い下りた。
竜崎のか弱い花芽の断末魔を己の軍刀に感じながら、Lはしばし忘我する。
「ああ…」
何匹もの白い蛇が紅い蛇を追うようにして竜崎の、Lの大腿を伝い下り、次々とシーツの上で溶けあった。自分のものに汚された雌を目の当たりにしながら、身勝手で切なく甘やかな雄の憐憫を噛みしめるように味わう。
弟の、猜疑に悩まされ震えるそのさまは、まるで臆病で卑小な小鳥のように見えた。
岸辺にようやく辿り着いたずぶ濡れの小鳥は、Lの手によってやさしく救い上げられ、すぐさまもとの深みに投げ捨てられる。
翼は水を吸って重みを増し、飛び上がることもかなわない。それでも健気に浮かび上がり、こちらに向かって必死に泳ごうともがく小鳥の、何という愛しさ。
Lは、溺れかけているそれをひしと胸に抱き、思うさま愛撫してやりたさに悶えんばかりになる。
愛撫して、愛撫して、ずたずたに引き裂いてやりたくなる。
岸辺で舌なめずりをして小鳥を見物する肉食獣は、崩れ落ちた竜崎の息が治まるのを待つ。捕食者の尊大なる憐れみをもって。
「え…る…、…止めて…」
肩越しにふり返る獲物は更なる暴力を想像して萎縮したままだ。
「明日はもう日本に発つんだろう?」
Lは止めるとも止めないとも答えずに、関係のないことを言ってみる。
「さっき鳴いていた鳥、あれはゴイサギという鳥だ。日本にもたくさんいる。機会があれば一度近くで見てみるといい。声は悲鳴のようで不吉だが、陰鬱に青みがかった翼を背負って美しい」
優しく言いながら、Lは竜崎の上に覆いかぶさる。
腹と胸とで小刻みに震える獲物をふしどに強く圧しつけてやれば、ただふざけているだけのLに対して、竜崎は恐怖し、弾かれたように暴れだした
「いやだ!止めてください、お願いですッ!」
その怯えようが、Lには愉快でたまらない。
自分の一挙一動にこれほどまでに左右される可愛い家畜。
指先のわずかな動きにさえ反応してくるくると踊る奴隷。
こんな面白いものを手中に収めることができたのは、自分の人生においてもっとも幸運なことの一つだと、Lはそう思っている。
暴れる体を反転させ、対等ではない形で向かい合う。
鉄の匂い。Lによって破られた粘膜が血を滴らせている。
「大人しくしなさい。怒るよ」
竜崎はおし黙って体を強張らせた。
見開かれたその眼のなんと黒いことか。明かりなき部屋の闇をそのまますくい取ったように黒い眼。恐怖に見開かれたその眼に、Lは再び劣情をもよおす。
(・・・・・・・歪んでいる)
そんなことはわかっている。けれども止まらない。
Lがその身に抱える獣欲は、L自身が望むと望むまいに関わらず、少々過剰だ。
動かすのも痛いだろうなと思いながら、竜崎の足を持ち上げる。
「い、や…」
報復を恐れて麻痺した唇から、漸く拒絶だけを搾り出す竜崎の哀願には聞く耳持たず、Lは再び竜崎を犯した。がくがくと揺らせば、竜崎は半ば呆けたように短い悲鳴だけをあげた。いつものように首に手をかけ覗き込めば、竜崎の正気は既に肉体から飛び去りそこにはない。
またか。
Lは胸の中で舌打ちをする。
この獲物は決してLの手中に収まりきってはいない。竜崎はいつまでも純潔の処女だ。少なくともその精神だけは。体を奪われたからといって、心までは預けてはこない。それはそのまま、彼がしんの強い誇り高い一個の人間であることを示している。もっともそう育て上げたのは、他ならぬこの獣なのだけれど。
獣の下で呆けた小鳥は、篭に囚われながら野を知っている。閉塞した部屋のよどんだ空気の中に新鮮な外気を感じ取り、天井を見せられながら空を見ている。打ちのめされながらも頭をもたげようとし、口を塞がれながら喉で叫ぶ。体は奈落の底に堕ちて弱っているのに、その精神は未だ汚れなき天空に在る。
もとより奈落に棲む獣であるLには、どんなにのびあがっても届かない処に竜崎の核は置き去りになっていて、それだけはどうしても手の中に落ちてこない。
竜崎は本能的に最後の砦を守っている。
あるいは意識を失い、あるいは正気を失って、Lが本当に食い荒らそうとする処には踏み込ませない。
首を締め上げ、傷を犯しながらLは苛立つ。
望んでも手に入れられないものが目の前にあるというこの状況を、Lは許せない。飛んでいくとわかっている小鳥の翼をそのままにしておくことなどできない。
幼い日、母を求めてのばした手を父に振り払われたあの光景が、脳に焼きついている。
望んだものを漸く握り締めたその手は、決して緩めてはならないのだ。
自分のもとから飛び去ることの出来る小鳥の翼は、ぜひとも完膚なきまでに折られなければならない。
それでなくとも、この義弟は明日には自分の手を離れ、異国へと発つ。
竜崎の心が天空より滑り落ちてくるまで、せめて意識だけはここに・・・・己の縄張りに結わえつけておかねば。
主人たる「L」を忘れることのないように。
竜崎の白い脛が視界に入った。酷い掻き傷がついている。先ほど自分がつけた傷だ。
つま先から足首へ、足首から膝へ・・・その白く貧弱な脚を視線で嬲る。
未だ癒えない傷や、破れたばかりの傷口や、殴打の痣、愛の痣、煙草の火傷、それらがちりばめられた膚の中で、ひときわ白い無垢な部分が眼に映る。内腿の、局部にごく近い部分の皮膚。血に汚れてはいるけれど、ただでさえ青白い竜崎の体の中で、そこはまるで死人の肌のようだ。
Lは「いいこと」を思いついた。
一段と酷く竜崎の肉体を苦しませた上で二度目の吐精を済ませたあと、Lはベッドから降りて、息も絶え絶えになっている竜崎に背を向ける。今夜はもうお終いだと考えたのだろう。Lには、竜崎がわずかに正気を取り戻すのが感ぜられた。
幼少より分かち難く共に成長してきた二人は、皮肉にも、この異常な状況下においてさえぼんやりと互いの心を読むことができた。
竜崎は、先ほどまで感じていたLの不満が消えたのを察知したのだ。
しかしそれは暴力の終わりを意味するものではなかった。
がり、といやな音がして、竜崎はぐったりと仰向けになったまま、そちらへ顔を向けた。自分を背にして立つLの大きな手が動いている。
大理石のテーブルに何か光るものを擦りつけ、がりがりと嫌な音を立てている。
Lが手にしているものを理解するだけの正気を取り戻したが故に、竜崎は恐怖に叫んだ。
「い、いや・・・・!」
その叫びを耳にしながらベッドに戻ったLは、筋肉の強張った竜崎の足を開かせ、そのあいだにうずくまった。
暗い部屋に刃のこぼれたサバイバルナイフがきらきらと閃く。
痛みも忘れて逃れようともがく竜崎に向かってLは言う。
「下手に動くと、別な場所が傷つくよ」
Lが自分の体のどこに何をしようとしているかもわからない竜崎にはその言葉は酷く強い毒のようで、体中に張り巡らされた神経を駆け抜け、血を凍らせ、肉を引きつらせた。竦んだ竜崎の内腿に鋭い痛みが走って、竜崎の体は大きく跳ねる。
「ひいッ・・・」
柔肌を切り開かれる。
ナイフは竜崎の内腿に酷い傷をのこしながら、ぎりぎりと膚を滑った。
「ぎゃッ・・・・!」
ぐ、と刃の角度が変わって、竜崎はほとんど動物のような悲鳴をあげた。夜烏の声のようだと、Lは無情の屠りを止めずにそう思う。
ぬめぬめと手に血がまとわりつく。
手首にまで伝おうとする自分と同じに温かい液体を、ぺろ、と舌ですくい、その味を口腔で転がしながら、Lは満足そうに言った。
「出来た」
白い内腿の膚に切り開かれた「L」の文字。
溢れる血で紛れてはいるものの、裂かれた部分から覗く肉はひときわ鮮やかに映えた。こぼれた刃にこじ開けられた深い切り口は、禍禍しく不定形に裂けている。
「これでもう私の物だ」
主人の名を刻まれた竜崎自身には、その言葉を解することはできなかった。ただ、傷つけられたあちこちが火に焼け爛れたように熱い。
仰向けになって足を開いたまま身動きもとれない竜崎の耳に唇を寄せ、Lは呟いた。
「・・・・あちらに行っても私から逃げないと誓えるな」
是も非もなく、竜崎は頷く。
「誓え、ここで」
促されがくがくと首を縦に振りながら、答える。
「はい・・・誓・・・いま・・す」
それだけ搾り出すと、竜崎は新たな激痛に耐えるべく、かたくシーツを握り締めた。そのシーツを取りあげて、Lは自ら浴びた血液を拭い、創の紅さに改めて満足する。
本当は自分の真の名を刻みかけたのだけれど、辛うじてその衝動を呑みこんだ。義弟を日本で待ちかまえる「キラ」は、名を奪って人を殺める。キラにとっては「L」の実像がはっきりしていないとはいえ、用心にこしたことはあるまい。
Lは「L」としての理性に踏みとどまった。
義弟を自らの生きた墓標には出来ない。
今はこれで十分だ。これでもうこの小鳥は自分から逃げない。空を目の前にして、飛び上がることもできずに自分の手の中に墜落してくる。翼は、こうして完膚なきまでに叩き折られたのだから。
「・・・今夜は、これでお終いにしようか」
竜崎は、蒼白になった体のまま、沈黙することで従った。Lは漸く安心して、血の海に溺れる小鳥を、ひしと抱きしめた。
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